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天狐上司の不器用な初恋
天狐上司の不器用な初恋
Author: 当麻月菜

Prologue それはきっと、ハロウィンだから

Author: 当麻月菜
last update Last Updated: 2025-10-05 20:47:08

 今まさに日付が変わろうとしている深夜、発泡酒を片手に美亜はベランダに出て空を見上げた。

 秋の夜空は、夏のころに比べると明るい星が少なくて寂しい。しかし都会の夜空は、地上の輝きのせいで季節を問わず星が見えない。

 東京には空がないという詩をなんとなく覚えている美亜は、名古屋にだって空はないと思う。でも、故郷の本当の空を見たいとは思わない。 

 美亜こと星野美亜ほしの みあが生まれ育ったのは、群馬県東部の山の中。かつて近代産業の先駆けとして、大きな役割を担った養蚕業が盛んだった地域である。

 空き巣よりも野生動物に気を付けなければならず、夕飯のメニューも夫婦喧嘩の内容も、リアルタイムでバレてしまう狭い集落で育った美亜は、人ならざるものが見えてしまう特殊体質のせいで孤立した存在だった。

 嘘つき、気持ち悪い。そんな心をえぐられる言葉を幼少の頃から吐かれ続けた美亜は、引きこもりになっては、また外に出る──を繰り返す、カタツムリ生活を送っていた。

 そんな孤独な美亜の心を癒してくれたのは、テレビに映るキラキラした都会の光景。こんなにぎやかで忙しい街なら、人ならざるものが入り込める隙間なんてないだろう。

 そう思った瞬間、美亜は都会に強い憧れを持った。

 その気持ちは年を重ねても色あせるどころか大きくなり、地元の短大を卒業して兄が働く三大都市の一つ──名古屋に転居したのは当然といえば当然の流れである。

 しかし、あっさりと転居できたわけではない。兄こと星野俊郎ほしの としろうは国立高専に進み、手堅く愛知県の大手自動車メーカーに就職したが、両親は美亜の県外就職を許してくれなかった。

 地元就職、実家近くでの結婚。それこそが女の幸せだとだ決めつけている両親の説得に手間取り、美亜は就職先を決めることができないまま卒業する羽目になってしまった。

 不本意ながら就職浪人となってしまった美亜に救いの手を差し伸べてくれたのは、同居している母方の祖母だった。余談だが美亜の父は、婿養子だ。

 齢80を超えても矍鑠としている祖母の星野鞠子ほしの まりこは、星野家のドンである。

 鞠子が俊郎と同居することを条件に名古屋行きを許してくれたのなら、両親とて否とは言えない。おかげで美亜は、大都会東京ではないけれど、まあまあ都会暮らしを手に入れることができた。

 ……しかし一年半が過ぎた今、美亜は都会生活を謳歌していると思いきや、一人寂しく自宅アパートのベランダで発泡酒を飲んでいる。

「おにぃは、何してるかなぁ」

 恋人と同棲するわと言い残して、兄は三か月前に家を出て行った。

 両親にオフレコにする代わりに半年間家賃を半分持つと持ちかけられ、即座に兄と同盟を結んだ自分は、現金な奴ではなくて兄想いの妹だ。

 親の期待を一身に背負い、真面目に生きてきた兄の初めての冒険を、妹である美亜は心から応援している。

 とはいえ、一人になった2DKのアパートはびっくりするほど静かで、ひと月前に初めて付き合った恋人と別れた美亜は、強い孤独を感じてしまう。

 残暑が厳しかった9月はあっという間に過ぎて、もう10月だ。

 日暮れは早くなり、風は日に日に冷たくなっていく。それだけでも感傷的な気分になるというのに、冬になったら一体自分はどうなってしまうのだろう。いっそ亀でも飼おうか。いや、駄目だ。あいつは冬眠する。

 そんなとりとめもないことを考えながら、美亜は発泡酒をごくごく飲む。本当はビールが飲みたいけれど、もうすぐやってくる給料日までは我慢だ。

「あと5日か……」

 兄が家賃を援助してくれているおかげで、生活は楽でもなければ苦でもない。ただ恋人と別れたばかりの美亜の心は寂しくてたまらない。恋人がいなかったあの頃、どうやって日常を過ごしていたのだろう。少なくとも、こんな寂しさを感じたことはなかったはずだ。

 孤独は人の心を弱らせる。そして、弱った心には魔が入り込む。普段は意識して見ないようにしている人ならざるものが、一瞬の隙をついて美亜の視界に映りこんでしまった。

「っ……!!」

 名古屋に転居してから一度も見ていなかった人ならざるものは、びっくりするほど鮮明だった。

 人の姿でありながら、耳と尻尾が生えた狐人。平安時代の衣装を身にまとい、屋根から屋根へと軽やかに移動するその姿は恐ろしいはずなのに、狐人の横顔が規格外のイケメンだったせいで、うっかり魅了されそうになる。

 しかしトキメキそうになった美亜だが、すぐに青ざめた。ふいにこちらを向いたイケメン狐人と、ガチッと目が合ってしまったのだ。その顔に、見覚えがある。

「……え、指宿いぶすき……課長?」

 声に出してみたものの、派遣先の冷血上司が狐人だなんてありえない。きっと見間違えただけ。そうに違いない。

 上司の顔を思い出してすっかり酔いが醒めてしまった美亜は、空になった発泡酒の缶をぐしゃりと握り潰した。

「最悪っ、明日は売上データの推移グラフの提出日だったの思い出しちゃったじゃん。あーもー……寝よ。うん、ちょっと早めに出社したほうがいいし、もう寝よう」

 冷蔵庫にはまだ発泡酒があるけれど、もう飲みたいとは思えない。美亜はノロノロと室内に戻ると、歯を磨いてベッドに直行した。

 明日も変わらぬ一日が始まると、信じて疑わずに──

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